mya_v6_snowman’s diary

ジャニーズのこと色々書いて行ければなって思ってます!

5年間を振り返って Part1

 

 

向井康二が好き」

 

 

私がこの言葉を初めて口にしたのはつい数ヶ月前の1月のこと。きっとこれを読んでる人からするとなんだそんなことって思われるかもしれない。でも私からするとこのことを口にするのはとても大きな1歩で重大なことだった。

 

 

なぜなら私が向井康二担だと知ってる人は半年前まで1人しかいなかったから。SnowMan担だってこともこの時初めて言った。1年ちょっとSnowMan担だってことを隠し更には5年間向井康二担だってことを隠してきた私にとってJrが好きって公言するのにはとても勇気が必要だった。

 

 

 

向井康二を好きになったのは5年前。私はVクラで三宅健くん担だって妹のように可愛がってて今でもとても仲の良いセクゾ担の後輩に話した時に「関西Jrの向井康二くんって子がいるんですけどその子が三宅健くんに似てるってファンの間で言われてるので見てみてください」って言われたのが全ての始まりだった。そこから調べ出してまいジャニとかも見だしたらまんまと向井康二にハマってしまったのだ。

 

でも私は教えてくれた後輩にだけ向井康二担になったことを告げ他の誰にも向井康二担であることを伝えなかった。それは私が友達にVクラだってことを公言した時にいろんな人に「なんでV6なの?」「あんなおじさんのどこがいいの?」「もっと若い子いるんだからそっちに目向けなよ。」など色々言われたから。もちろん共感してくれる友達もいたけどでも自分の好きな人を否定されたのが悔しくて嫌で傷ついたから。何も知らない人に自分の好きな人を否定されるくらいなら隠す。そう決めて5年もの間ずっとずっと隠しつづけた。隠してるから何かあっても誰にも言えなくて話せなくて自分の中で整理して受け入れないといけないのが辛くて苦しかったこともたくさんあった。何度も言えたら楽なのにって思った。

 

 

好きになった当時はなにきんの向井康二ですっごく笑ってて楽しそうでとーまくんとのコントもすっごく面白くて好きでkin kanの空気が好きでこの3人かもしくはなにきんとしてデビューするんだろうなって思ってた。でもその夢は直ぐに砕けてとーまくんがジャニーズを脱退して翌年しょうれんが東京に行った。Kin Kanで唯一1人だけが残った。なんで?東京にむむくんも連れて行ってくれないの?紫耀くんとむむくんを離して欲しくなくて毎日のようにそう思ってた。むむくんが東京に行けないのがすっごくすっごく悔しかった。

 

 

そしてなにきんで楽しそうに笑ってたむむくんが好きだったのに笑わなくなった。うんん、笑ってるけどなにきんの向井康二の笑い方じゃなくなった。

この時確実に向井康二が変わった瞬間だった。

自分がやらなきゃいけない。関西を守らないといけない。引っ張らなきゃ行けない。関西の全てを背負うんだって覚悟がその時にぐらいから感じられた。

そして泣かなくなった。あぁ、本当にやる気なんだって思った。

 

 

それから先頭でずっとずっと頑張っててすっごく疲れてる感じな時もあっていつか壊れるんじゃないかって本当に怖かった。

でもるーたくんといる時だけは楽しそうで甘えられてて見てて安心できた。それでもどんな時でも涙を流さないむむくんがやっぱり心配だった。本当は泣き虫で甘えたで寂しがりやなむむくんが気を張ってず頑張ってる姿はかっこよかったけど何かやっぱり引っかかってた。

 

 

 

 

色々飛ばして去年の滝沢歌舞伎。関西からもオーディションで何人か出演することが決まった。今思えばこれが多分今の現状の全ての始まりなんだと思う。当時の私はむむくんの出演が決まってただひたすら嬉しかった。向井康二を好きになったきっかけの健くんとむむくんの共演。自担と自担が同じステージに立つ。さらに言えばこの頃から私はSnowManが好きでさっくん担になったわけだから健くんとむむくんとさっくん。自担と自担と自担の共演。最高でしかなかった。自担と自担が自担の取り合い。そして自担が手を組んで健くん同盟結成。滝沢歌舞伎によってむむくんはきっと東京Jrとも距離は縮まった。健くんにもちゃんと覚えて貰えた。うんん、それどころか「いいやつ。面白い子」そう言って貰えるようになった。健くんに気に入ってもらえた。これは本当にむむくんの転機だったんだと思う。

 

そして何より御園座公演の千秋楽。むむくんの滝沢歌舞伎最後の公演の日むむくんは舞台で号泣した。そのレポを読んだ時私は目を疑った。信じられなかった。ずっと泣かなかったむむくんが泣いたんだって嬉しかった。ずっと関西のためにって自分のことは二の次で頑張ってたむむくんはかっこよかったけど少し寂しかった。雑誌で「ここ(滝沢歌舞伎)で得たものは、後輩たちに渡さない」そう言ったむむくんに衝撃を覚えた。それと同時に嬉しかった。関西のため後輩のためじゃなくてやっと自分のために行動してくれたことが。あぁ、もっとちゃんと向井康二担としてむむくんのために頑張ろうって思えた。

 

 

 

色々細かく書くと大変なことになるから省略して昨年の9月。まだまだ先のことなのにこの時点でジャニーズ主催じゃない初の外部の仕事が決まった。そう、三婆。嬉しかったと同時になにか起こるんじゃないかって不安が増した。

 

 

そしてその不安は当たってしまった。翌月の10月。関西にやっとグループが結成した。そう、なにわ男子の結成。でも何度見てもそのメンバーの中にむむくんはいなかった。それなのにその中に大西畑がいて丈橋がいた。完全に次世代だとおもってた、るたこじ大西畑の後を継ぐんだと思ってたトリオの3人まで。悔しかった。信じたくなかった。ずっとずっと一緒に関西を引っ張ってきた大西畑が入ったのにるたこじがいなくて。そして丈橋が入ったことでFUNKY8はどーなるの?とも思った。

 

 

そして三婆の意味を悟った。ジャニーズ側はきっとじーこをデビューさせる気はなくて舞台メインにさせるん気なんだと思った。そしてなにわ男子に入れなかったのが悔しかった。今までむむくんが関西のために頑張って来たのを裏切るんだって本気で思った。こんなにもジャニーズ事務所を恨んだのはなにきんの自然消滅とSMAPの解散以来の出来事だった。この際もうるたこじで2人でデビューさせて欲しいとさえ思った。

 

 

 

不安がさらにました。あの時と同じ感じだった。

なにわが出来たことによって立ち位置が変わるんじゃないかと思った。もう何もかもが不安だった。

同期のいるWESTがデビューした時に辞めようとしてたのを思い出して怖かった。今度こそ本当に辞めるんじゃないかって。辞めてもおかしくないと思った。

 

 

 

Part2へ続く